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花といえば現在は桜ですが、むかしは花といえば梅であったなど。桜は国を代表する花だけに桜にまつわるエピソードには事欠きません。
今回は桜にまつわる雑学をまとめてみました。お花見の時に桜の話題を酒の肴にするのもアリかなと思いました。
桜という言葉の由来やお花見の由来、ソメイヨシノの秘密などについては前回書きましたが、まとめていてとても面白いものでした。そこで今回はその他のネタについて書いてみたいと思います。
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目次
桜に投影された意味
桜を見ると昔の人は何を感じたのか?
桜は長年日本人に愛され続けている花だけに桜に対する思いは様々です。
無常観と散ることの悲しみ
古くは和歌に詠まれていますが、桜がすぐに散ってしまうことに対する愛着と悲しさ。その散り際があまりにも早いので、見てそれを儚い自分の人生に投影させたりした歌が多いですね。
有名でもあり私も好きなのは以下とか。
ひさかたの光のどけき春の日に しづ心なく花の散るらむ 紀友則・古今和歌集、百人一首
世の中にたえて桜のなかりせば 春の心はのどけからまし 在原業平・古今和歌集
花の色は移りにけりないたづらに わが身世にふるながめせしまに 小野小町・百人一首
もろともにあはれと思へ山桜 花よりほかに知る人もなし 前大僧正行尊・小倉百人一首
花さそふ嵐の庭の雪ならで ふりゆくものはわが身なりけり 入道前太政大臣・百人一首
桜と死体と西行と
また西行法師の桜の歌は有名です。西行の桜は死の象徴です。
京都だけでなく千葉、栃木などの関東にも西行法師と縁のある桜が数多く存在します。
「西行桜」さいぎょうざくら)という室町時代の世阿弥作の能楽作品もありました。
これには西行の死後数十年後に作られた彼の伝記「西行物語」の影響が大きいと言われていますね。
西行と桜と死が一体となって語られるのはこれと和歌集「撰時抄」に採録された歌によっています。
ただ素直に読めば、歌を読んだ頃に死を意識していたとはとても思えませんが。どうせ死ぬのであるならばこんな日に死にたいなという、そういう歌のように私は読めるんですけど。

引用元:
http://woodblock.com/poets/j_frame_print.php?year=10&pprint=4&id=
仏には桜の花をたてまつれ わが後の世を人とぶらはば 西行法師・山家集
願はくは花の下にて春死なん そのきさらぎのもち月の頃 西行法師・山家集
現代にも「西行物語」などに見られる当時の人達の考えた桜=死の考えは脈々と流れています。
“梶井基次郎の短編小説『櫻の樹の下には』の一節。
「櫻の樹の下には屍体が埋まつてゐる。これは信じていいことだ。」
は有名です。
しかし奈良時代から平安時代初期にかけては桜には無常観は投影されておらず、桜の華やかさなどが意識されていたようです。
あをによし 寧楽の京師は咲く花の にほふがごとく今さかりなり 小野老・万葉集
この花の一節のうちに百種の ことぞ隠れるおほろかにすな 藤原広嗣・万葉集
ですので無常観や死を象徴するものとしての桜は平安時代後半から特に強くなったイメージだと思います。
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潔さの象徴として
桜はあっという間に散る花であることからいつも死にに直面していた武士階級にとっては「潔さ」の象徴と見られていました。桜はいわば武士そのものであると。武士の世界になってそういう観念が定着して行き、それで「花は桜木、人は武士」という有名な言葉が語り継がれるようになりました。一般庶民にも知られるようになったのは竹田出雲らの「仮名手本忠臣蔵」からという説があります。
封建時代の象徴として
ところが徳川幕府が倒されて、武士階級が廃止になった明治時代の初め。桜の木は封建時代の象徴であるとされました。そのため各地の桜の木が伐採されるという事態になりました。その頃の明治政府は西洋化を急ぐあまり、徹底的に日本に古来から伝わる伝統を破壊し、国宝級の仏像なども廃仏毀釈運動の中破壊されたり海外に持ち去られたりしました。桜の木もそういった狂信的な政府によって切られたためにその時に多くの品種が絶滅しています。
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それが昭和になって、外国勢力と対峙せざるを得ない時代になると、今度は桜の花は「軍人」とその精神の象徴として復権を果たし、学校の校庭などに植えられるようになりました。
敗戦後は改めて桜が国の花に
戦後は国の政策でソメイヨシノが全国に広められ、桜の花は日本のシンボルとなりました。日米の友好関係の象徴となっているアメリカ・ワシントンD.C.のポトマック川のほとりの桜並木は有名ですが、ここでもサクラが日本の象徴として考えられています。
他にも現代日本の防人”自衛隊”の部隊旗や各種の旗や自衛官、警察官、消防の徽章にも桜がデザインとして取り入れられています。さらには学習院大学・日本女子大学・日本大学・桜蔭中学・高等学校など多くの学校の校章にも桜がデザインされています。
百円硬貨の裏にも桜がデザインされていまして現在は名実ともに日本を象徴する花として君臨しています。
こうして桜は時代に寄って様々な受け取り方をされてきた花なのです。
長くなったので次ページに続きます。
桜の雑学あれこれ
桜の「狂い咲き」
狂い咲きとは花が季節外れに咲くことです。春に咲くはずの桜が秋に突然咲くというようなことが桜にはあって、それが元になってもう盛りが過ぎてしまったものが勢いを盛り返すという意味にも使われます。
ただしこの狂い咲きは狂っているのではなくて、もともと桜というのは秋に咲く木だったという研究があります。ネパール原産の桜の木はもともと亜熱帯植物。それが中国やタイから日本に伝わってきましたが、日本では寒さが厳しいために秋に葉を落として冬眠に備えるよう順応してきました。それで秋ではなくて春に花を咲かせるようになったんだとか。ですからアメリカシロヒトリの食害であるとか、夏に台風や毛虫の被害で葉が落ちてしまったためとかで状況が変わるとつい先祖返りして秋に花を咲かせるのだそうです。

引用元:
http://doyano.sytes.net/inaka/hana/obara/index.html
偽客が「サクラ」ってなんでそう言われるの?
催し物などに主催者から報酬を受け取って参加して客のふりをする人のことを「サクラ」といいますね。江戸時代の芝居小屋で歌舞伎を無料で見るかわりに、その場を盛り上げる人がいて、その人達を「サクラ」といったんだそうです。これが由来です。
そのこころは。
花見はもともとただで見られるもので、かつその場だけ盛り上げる様子がぱっと咲いてぱっと散るサクラのようだから。
これが明治になって露天商が、「一般の客にさも売れて、盛り上がっているように見せるように仕込んだ偽の客」のことを「サクラ」というようになりました。今も同じ意味で使われていますよね。
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桜は桜でも違う「都道府県の花」
山梨県の花はフジザクラ。京都府の花はシダレザクラ。東京都の花はソメイヨシノ。奈良県の花は奈良八重桜(ナラザクラの八重咲きのもの)。桜には600種以上のバラエティがあり、ソメイヨシノは明治になってからの新参者です。
京都のしだれ桜↓

引用元:
http://hukumusume.com/jap/027_kyouto.htm
桜色って?
桜の花のような淡い紅色を桜色といいますね。このようなぼんやりした色を好むのは日本人ならではです。そして日本では古来からこの色を愛し、様々なものにこの色の名前をつけました。特に食材に関しては多いですね。サクラダイ・サクラエビ・サクラマス・サクラガイ・サクラビスなど海の幸には桜の名を持つものは多いです。
桜えび↓
また馬肉のことを桜肉というのも切り身の形とその色が桜に似ているからです。それで馬肉を使った鍋も桜鍋といいます。小正月に食べる小豆と餅を入れて煮たおかゆのことを桜粥と言いますよね。桜餅はもともとは桜の葉を塩漬けにして、餅などの乾燥を防ぐためにそれに巻いたものを言います。その本家本元である向島長命寺の桜餅は今でも白いです。しかし現在では私たちの多くは食紅などで桜色に染めています。桜餅というからにはやはり桜色で勝つ桜の葉が巻いてあるものでなくては承知できないのも日本人が桜色を愛していればこそです。
桜と名前が付いているだけでとても美味しいように聞こえるのは私だけでしょうか。
なお関西と関東では桜餅といってもモノが違います。これはまた別記事で書いてみたいと思います。
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