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森田童子追悼
森田童子が亡くなった。4月のことだと言うからもう一ヶ月経ってしまっている。
私が最初に彼女の歌を聞いたのは確か高校生ぐらいのときだった。
そしてハマってしまった。
わたしはテレビや映画を観なくなったのがすでに30年以上前なので、「高校教師」というテレビは見ておらず、もちろんその主題歌に使われた「ぼくたちの失敗」が使われたということも長い間知らなかった。
「ぼくたちの失敗」は「高校教師」の主題歌ではなくて、私の少年時代の思い出の歌だった。
というか「ぼくたちの失敗」は森田童子の歌にしては毛色が違っていた。
私はこの曲が大ヒットしたと聞いて「そうなんだあ」と戸惑いを覚えたことを覚えている。
森田童子は素晴らしい歌手だったが決してメジャーではなかった。
テレビドラマの主題歌に採用され、それで多くの人たちが森田童子のことを知り。
1993年1月、テレビドラマ『高校教師』の主題歌に1976年発売のシングル『ぼくたちの失敗』が使われ、シングルCDは100万枚に迫る大ヒットとなった[5]。このドラマの脚本を書いた野島伸司は、高校時代同級生に誘われてライブハウスで歌う彼女を知り、強い印象を受けたという。
これにともない、同年3月にベスト・アルバム『ぼくたちの失敗 森田童子ベスト・コレクション』が発売された。続けて同年4月には、オリジナル・アルバム7枚がCDで再発売(初CD化3枚)され、活動当時を知らない若い世代を含めて、新たに多くのファンを獲得した。
私は日本でも数少ない森田童子ファンだったんだと思う。それが10年毎はいえ。多くの方がファンになった。仲間が増えたのは嬉しい。
詩が作られた頃の貴重な映像を残しているユーチューブ動画を見つけたので貼っておきたい。
森田 童子(もりた どうじ、1952年1月15日 – 2018年4月24日[1])は、日本の元女性シンガーソングライター。本名は非公開
ただ森田童子はノスタルジーも換気されるが、私の年代ではすでに収束していた学生運動。
その失敗と重ね合わせて森田童子の歌がある。
まだ私が子供の頃内ゲバのために半身不随になって田舎に戻ってきた人達が結構いた。ど田舎のこととて平和な場所だった。
なので学生運動とその崩壊後の内ゲバの激しさが思いやられた。
当時学生運動に身を投じた方々は純粋だったとは思うが、その後在日や支那の外国勢力と手を結んで反日活動に転化していったのは残念なことであった。
学生運動は失敗したが、その残党は様々な組織に入り込んでいる。
今回はそのことについて書いてみたい。
学生運動の残骸が今も日本破壊活動に従事している
学生運動を主導したのは共産党であった。
ちなみに共産党は犯罪的組織として公安監視対象である。
この組織が学生運動を指揮したことは間違いがない。だから最初は多くの人たちが共産党員であった。
共産党がどういう組織であるかをよくまとめた動画を見つけたので貼り付けておきたい。
要は現在ソフト路線をとっているとしても共産党の本質は暴力革命なのである。
しかしとりあえず暴力闘争は利あらずとしてソフト路線に変更した共産党の方針に飽き足らない人たちは共産党と袂を分かち、全学連を立ち上げ、より過激な闘争に入った。
全学連から生まれた左翼運動体がブント(共産主義者同盟)と言われた。
1958年に全学連を主導していた学生が中心となって結成された、共産党から独立した左翼運動体。60年安保闘争の主力となり、以後解体した。
60年代後半、再び統合され(第二次ブント)学生運動の中心となるが、1970年代に入ると急速に影響力を失って四分五裂した。
当時は政府は悪、学生運動は正しいという気分が横溢していて。
学生運動が破綻してバラバラになっても彼らを多くのシンパがいたし、それは現在も存在する。
以下の動画などは学生運動に好意的である。
外国勢力に支配される左翼
彼らが引き起こした残虐な事件は枚挙にいとまがないが。
これらの破壊活動に朝鮮人が多く加担していたことは知られていなかった。
また実際外国人が多数混じっていたことは隠蔽された。
だが現在はこれら学生運動に在日朝鮮人や支那の反日勢力が混じっていて、彼らがある意味主導権を握っていたことが多くの人たちに知られつつある。
また反日勢力もこのことを隠さなくなってきている。
以下の写真は2017年トランプ大統領が来日に反対したデモ。
横断幕にハングル語で堂々と書かれている。
そもそも共産党自体朝鮮人と一体だった歴史がある。
在日韓国・朝鮮人の歴史を蓄積しているウェブサイト「川崎在日コリアン生活文化資料館」が存在する。ここに興味深い内容が記されている。
1955年まで、朝鮮人共産党員も一国一党主義により、日本共産党として活動していました。在日韓国・朝鮮人らが主催するイベントの説明文にこの一節がある。同ウェブサイトによれば、日本共産党と朝鮮共産党は同一だった時代があったことを明かしているのである。
朝鮮共産党は日韓併合の中、1925年にソウルで結成された(日本共産党は1922年に設立)。朝鮮共産党は、海外在住の同胞の間に組織を広げるため、日本に1928年、「日本部」(のちの日本総局)を設置、日本の共産党員らと行動を共にしていた。これが前述した「朝鮮人共産党員も一国一党主義により、日本共産党として活動していました」という一節の真相だ。これにより日本の共産党員は、共産・社会主義を掲げながら「韓国・朝鮮人主義者」にもなっていった。共産党はその歴史をずっと汲んで現在に続いているわけだから、韓国・朝鮮人主義者も途絶えていないということ。そうすると日韓友好を執拗に掲げるのも、「旧友」という言葉を好んで用いるのも、すべて納得がいくことだろう。また共産党が韓国・朝鮮に傾倒している意味もわかるはず。共産党員が韓国を露骨に贔屓するのは、一心同体のような感情が存在するからなのだ。
詳しいことは別記事に譲るが、海外の反日活動と左翼の活動が一体になって今に至っているという事実は重要だ。
もともと在日朝鮮人の犯罪は非常に多かったが、マスゴミが隠蔽していたり、通名制度のために在日朝鮮人だと知られなかったため、多くの日本人がその事実を知らなかった。
そしてそんな中、全学連の主流をなしていた中核派革マル派は今も活発に活動をしており。様々な分野に浸透している。
また、やはり外国勢力と手を結んでいる。また、数々の暴力事件を引き起こしている。
JR に巣食う過激派暴力組織
国鉄民営化の際、革マル派の巨頭であった松崎明は民営化断固反対の国労を裏切って民営化を推し進め、その事によって彼の支配下のIR総連はJR東日本における実験を握った。
これに対する批判はすごいものがあったが、松崎明はそれら労働組合の反対を押さえ込み、自民党と協力して民営化を推進することで。
革マル派の力を伸ばしたのだる。
逆に言えばその後長年に渡りIRは革マル派の支配下に置かれるようになってしまった。
この革マル支配は相当ひどいものであったが、最近IR総連からの離脱者が大量に出てようやく弱体化してきている。
しかし、その間の離脱者への弾圧はすさまじいものだった。そしてそれは今だに続いている。
ユーチューブに革マル派が支配するJR総連の弾圧とそれと闘う人たちとの動画が残っているので貼り付けていきたい。
JR東日本とJR北海道は特にひどく、そのため戦いも熾烈なものとなった。
北海道は今だに強圧的な労組の力が強く、問題が頻発し、社員に対する組合側からの弾圧が今も続いている。
当然それは共産党や民進党(当時)の票田ともなり、選挙マシンとして機能していった。
国会では革マル派が支配するJR総連から献金を受け、年初まで書いている枝野幸男議員に対し、安倍総理が痛烈な批判を行っている。
また民主党政権時代、自民党の平沢勝栄が革マル派が支配するJR総連からの献金問題で枝野幸男を糾弾している。
以下は革マル派とJR総連のつながりをわかりやすく解説した動画である。
この様に森田童子がセンチメンタルに歌った彼ら全学連の残党は、理想も消えはてて、自らが加害者として組合員を搾取する労働貴族に成り下がっていった。
と同時に本来国を愛した彼らは売国勢力と手を結び国家破壊活動にも手を染めるようになっていたのである。
IR総連の堕落を思うとき、理想に燃えたあの学生運動のエネルギーはすでに消えてしまったと思わざるを得ない。
これはまさに「ぼくたちの失敗」だったのではなかったんだろうか?
詳しくはまた別記事にしたいと思う。
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