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ラブラブの彼女とサイゴン旅行。
今回はその二回目ですが。
友人のミュージシャンのライブを聴きに行くというのがメインなんで。
一週間もいたわりには色んな所へは行きませんでした。サイゴンの周りをちょこっとって感じでしたが。それでもすごく良かったです。
サイゴンといえば
ベトナムは楽しかったです。
知り合いのミュージシャンがベトナムに半移住し、そこでライブをやるというので行くことにしたわけですが。
前科も書きましたが、ベトナムとかサイゴンと言うと。私の年代ではベトナム戦争のことが思いやられます。
サイゴン陥落の映像が脳裏に焼き付いています。
当時は共産主義が猛威を奮っていて、多くのひとたちが虐殺されていたんで、共産主義は怖いなっていう印象が強かったです。
でも共産主義国といっても。結局は人が作る体制ですので。
サイゴン陥落が1975年か。もうベトナム戦争が終わって随分年経つんですね。私が小学生校生ぐらいの時。
それから高校に行くようになってから様々な本を読んだりしました。
音楽で言うと「ミス・サイゴン」とか。ベトナムの悲劇を胸に刻んだ序曲なんかをきいた覚えがあります。
思い出すと胸が熱くなりますね。
開高健のこととか。様々な思い出が蘇ってきます。私はあの当時から左翼運動は胡散臭いと思ってて。こいつらおかしいなって思ってましたが。
今となれば民主党とか民進党とかの売国体質は明らかで、こいつら平和とか人権を騙りつつ破壊活動をしていたんだなってことがばればれですが。
もう70年以上に渡って破壊活動をしていた「平和主義者」という名のの売国勢力。
今でこそネットの普及で多くのひとたちが真実を知るようになってきましたが。
多くのひとたちは騙され続けていました。
そんな状態の中、開高健がその胡散臭さを嗅ぎ取ってベ平連から離れたことは当時としては非常に新鮮でした。
開高健の最高傑作の「闇3部作」もまたベトナム戦争を取材した中から生まれたものでした。
若い方は知らないと思うけど。とってもお勧め。
開高 健 電子全集1 漂えど沈まず―闇三部作
ということで、行ったこともないんにサイゴンに親近感を持っていた私ですが。中々機会がなくて。
サイゴンで食べたもの
今回初めてのサイゴンでした。
共産主義の国とは言え。サイゴンは人懐っこい国でしたね。
人間の臭い?がしました。共産主義国だけあって空港とか、様々なところに強圧的な匂いは確かに感じられましたが。
その分安心して歩き回ることができますし。最初のタクシーの呼び込みだけ、ちと強引で断るのが大変で辟易しましたが。皆さんフレンドリーでした。
携帯のSIMも空港からでたところで売っていまして。数回の連絡に使うだけなので数百円のものを購入。いくらか忘れましたが、安いですね。
フィリピンも中心部を離れるとボディチェック無しで店に入れますが。セブなんか街中警備員だらけです。ショッピングモールに入るには金属探知機をくぐらされます。
ともかくフィリピンと比較したらいけないですが。
サイゴンは安心して歩ける街でした(あ、あくまでフィリピンと比較してですが。)
空港で拾ったタクシーの運ちゃんは全く英語が話せない人でしたが。レックスホテルというと。無言で連れて行ってくれました。
それで友人と会う前3日間は二人だけでサイゴンを観光しました。特に予定は立てていませんでしたので行き当たりばったり。
フィリピンと違って食べ物に関してはあまりハズレはなかったです。フィリピンも私は好きなんで悪口は言いたくないんですが、食べ物だけはいただけないです。
ここなんか↓はホテルのそばの普通の食堂なんですが。フォーが絶品でした。しかも値段は二人でお腹いっぱい食べて。ビールやその他の料理を入れても2000円以下。
さすが本場。あまり写真を取らなかったんで、載せられなくて残念ですが。
他に珍しいものとしては。山羊鍋ですか。
山羊鍋が名物だという話を小耳に挟んでいたので。それを食べに行った時の写真はありましたので少し書いてみます。
山羊鍋はベトナムではラウゼーと言うんですが。
何処かで読んだ記事にベトナムに行ったら山羊鍋は欠かせない、とかなんとか書いてあって。
それじゃあオラ達も行って見るべいとおもったんですが。場所がよくわからなくて。
タクシーを捕まえて山羊鍋を食べられるところに連れて行ってくれと。言おうと思ったんですが。
日本語はもちろん英語も通じないので。
「旅の指差し会話帳」を開きつつ、説明をしました。
旅の指さし会話帳11ベトナム[第二版] (ここ以外のどこかへ!―アジア)
この指差し会話帳は超便利!ラウゼーと言っても通じなかったですが。
単語を指で指し示したら「ああ」という顔をして、山羊鍋のお店が密集しているところに連れて行ってくれました。
危険な場所でこれを持ち出すと単なるカモだと思われるので、かえって危険な場合もありますが。
ベトナム語のように全くわからない言葉の場合は便利ですね。
とっても役立ちました。
タクシーの運ちゃんに連れて行ってもらったところは随分な下町で。
その通り一面に何十件もの山羊鍋屋が並んでるという一角。ベトナム人100%で観光客は見当たりません。
まだ時間が早いのかガラ空きでしたが。
そんな中でも割り方混んでいる店に入って適当に注文をして見ました。
ただし、最初は鍋じゃなくて焼肉ですね。
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これがばか美味!と書きたいところなんですが。正直味付けが濃すぎて。肉の味が全くわからない感じです。
山羊のおっぱいの部分とかも食べましたけど。コリコリはしてましたが。ほかの部分と何処が違うのか判別できず!
ベトナム料理は一般的に薄味なんですが山羊の焼肉だけは腐敗防止のためなのか。
それとも匂い消しのつもりなのか。非常に味が濃かったです。鍋なんかも大味でした。
ただ、私達のような外人が珍しいのか、しばらくしたら隣で騒いでいたベトナム人のグループが私達に声をかけてきました。
声をかけてきた人は英語が話せたんで会話が始まって。
山羊に肉を食べるんだったらウオッカに限る、と言って、私のビールジョッキにテキーラを注いでくれまして。
それを飲みながら肉を食べるように言うんです。
たしかに・・・・・・・ウオッカみたいな強い酒とならば、この味付けの濃い山羊肉が合うんですよね。
お美味しいと言ったらば。そうだろうって喜んじゃって。何でベトナムでウォッカなのか?共産主義の国だからロシアから輸入してる?
まあ本当のところはわかりませんが、舌先にピリピリ来て美味いのなんの。
日本人かと聞いてくるんでそうだと言ったら。
日本人だったら仲間だ、と言ってくれました。フィリピンでも感じましたが日本人は本当に信用されています。
ベトナム人は中国人が大嫌いなんですけどね。その反動かもしれませんが。
あちらは10人ほどのグループだったんですが合流して、大騒ぎしました。
半分ぐらいはベトナム語しか話せないようでしたが。
英語がペラペラの人もいて。ベトナムでもレベルが高い人たちのような気がしました。
それで私はともかくも。彼女がいたんで。通訳もしてもらいながらくだらないことばっかりでしたけど、様々話をしました。
陽気で楽しい人達でしたね。
ただし私が仕事は休みなのかと聞いたところ。
いや仕事の途中だということでした。
まだ明るいうちからテキーラ飲んでて仕事もないだろうと思ってたら。
散々飲んだあと、それじゃあ元気で、と言いながらヘルメットを被り、バイクに乗って仕事に戻って行きました。
飲酒運転かよ!
でも昔は日本でもこんな感じで隣同士になった人と酒を酌み交わすなんてことは当たり前のことでした。
私も田舎から出てきた学生の頃など、飲み屋に入ると近くに座っていたおじさんたちが声をかけてきて、ごちそうしてもらったものです。
飲み屋で知り合ったホステスさんに飲みに連れて行ってもらったり。楽しかったなあ。
いまはそんな感じじゃないですよね。
何かが間違ってしまったんじゃないかな、いまの日本って。
こんなことをその時ふと思ってしまいました。
他にも色々と食べたり飲んだりしましたが。とりあえず初日と2日目はこんな感じです。
アオザイを買ってあげる
ベトナムと言えばアオザイ。オーダーメイドの店も多くあると聴いていましたので。
わたしも彼女にアオザイを買ってあげようと思い、幾つかの店を回りました。
サイゴンには沢山の衣料品店があります。飛び込みで色々回るのも楽しいと思います。
私たちは10件ほど回りましたが、結局は一番最初に偶然入ったお店の戻ってそこで買うことにしました。
買ってあげたのはこれ↓
アオザイ着てます↓
随分と手の込んだものでしたが、一緒に買ったのが写真で彼女がかぶっている帽子でした。
なんとこの帽子。手の込んだアオザイと同じぐらいの値段がしました。ある人に見せたら素材が違うんだと言っていましたが。
私からしてみると刺繍したアオザイと同じ価値があるとはどうしても思えませんでしたが。
でも結果としては。彼女はフィリピンに戻ってからアオザイを着る機会は余りありませんでしたが。
この帽子はよくかぶっていましてお気に入りなんだそうです。だから買ってあげてよかったなって思います。
写真には撮らなかったですが。アオザイを着ているベトナム女性は魅力的ですね。
ホテルの従業員のアオザイも素敵でしたが、女子大生なんかも制服が真っ白のアオザイだったりします。
個人の好みもあると思いますが、私は好きですね^^;
ってことで。続きは次回。
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