sponsored link
バレンタインデーの起源には2つあってそれが融合して今のバレンタインデーの起源となりました。中でも聖バレンタインという方の若者に対する愛情が欠かせないものです。その精神がバレンタインデーには脈々と流れています。しかし日本ではその精神がほんとうに生かされているんでしょうか?
目次
バレンタインデーの起源をまとめてみた
バレンタインデーは2つの事柄が合わさって生まれた記念日です。
ローマのお祭り
もともとはローマ帝国時代のお祭りです。多神教だったローマではギリシャ時代の半獣神パンに対応するルペルクスという神様をお祭りしていました。家畜を狼から守る神様で、更には出産に関係する神様でした。
そしてルペルカーリアという多産を祈るお祭が何百年ものあいだ行われていました。
子供を産むためには男女の出会いがなくてはなりません。
そこで毎年2月14日の夕方になると、若い未婚女性たちが自分の名前を書いて箱に入れます。
祭が始まる翌15日には男性たちが箱から名前を書いた紙を引きます。
そして男性はくじ引きをし、名前を引き当てた娘と祭の間付き合うことが出来るとされました。
お祭りは男女の出会いの機会となっていったのです。当然風紀は乱れます。
そこで496年。当時の教皇ゲラシウス一世は、風紀の乱れを正すためにルペルカーリア祭を禁じました。代わりに、聖人の名前を引かせ、1年間のあいだその聖人を見習った生き方をするよう励ましたといいますから、お祭り禁止後の男性たちは災難でしたね。ピチピチの女性じゃなくて爺の聖人。その落胆ぶりはありありと想像できてしまいます。
その行事の守護聖人とされたのが聖バレンティヌスです。お祭りの日とちょうど同じ日西暦269年2月14日殉教した聖人です。
聖バレンタイン殉教の理由
お祭りが禁止される約200年ほど前。西暦3世紀のローマ。皇帝クラウディウス二世(在位268-270)は、兵士たちの戦意に差し障りがあるとして結婚を禁止しました。そして戦意喪失の理由は彼らが自分の家族や愛する者たちを去りたくないからだと決めつけました。
しかしキリスト教司祭であったバレンティヌスはかわいそうな兵士たちを哀れに思って密かに間を取り持って結婚をさせていました。その評判は知れ渡って多くの恋人たちが彼の元を訪れて結婚をしたために、それが皇帝の知るところとなりました。
当時はまだキリスト教が迫害されていた時代で、皇帝は、バレンティヌスに罪を認めさせてローマの宗教への改宗を強要しようとしましたが、彼はそれを拒否しました。そこで、投獄され、処刑されてしまいました。
その後キリスト教がローマ帝国内で力を得るに従って聖人と認定されました。
このような歴史的事実の元、時代を経るに従ってこの日に恋人たちが贈り物やカードを交換する風習が定着していきました。
そしてその日は「聖バレンタインの日」と呼ばれるようになりました。バレンティヌスの英語読みがバレンタインだったからです。
当然のこと、女性から男性へ“愛を告白する日”と決まっているなどということは一切なくて男性も女性も愛する人へプレゼントを贈るというのがバレンタインデーのもともとの姿です。
日本のバレンタインデーは世界の非常識?
日本のバレンタインデーが世界各国で行われているバレンタインデーと大きくちがう点は幾つもあります。
日本では
女性から男性にしかプレゼントを渡せないということ。
その対としてホワイトデーなるものがあること。
プレゼントがチョコレートでなければいけないという点。
義理チョコなるものの存在。
世界では
世界の常識では男女ともにプレゼントを交換し合います。ですから当然ホワイトデーのようなものはありません。
プレゼントは自由に選び、愛をこめて相手に渡します。
愛する人以外にプレゼントを上げるなどということは一切ありません。
こう比べてみると、日本のバレンタインデーって随分特殊だということがわかります。
どうしてこんなことになったのか。
その訳は以下で詳しく書きました。
sponsored link