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日本の梅雨は日本独特だと前の記事に書きましたが、もちろん梅雨という現象は日本だけのことではありません。中国にも梅雨がありますし、一方日本では北海道には梅雨がありません。
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目次
梅雨という言葉は中国に由来する
もともとは梅雨は五月雨と呼ばれていた?
梅雨と書いて「つゆ」と読むのはかなり無理があります。というか絶対に読めないです。その昔日本では梅雨は五月雨と呼ばれていました。古今和歌集とか昔の和歌集にも五月雨は季語として読みこまれています。
おほかたに さみだるるとや 思ふらむ 君恋ひわたる 今日のながめを ―――「和泉式部日記」/和泉式部
五月雨については前も書きましたが新暦の5月の雨のことではなくて梅雨のことです。
五月雨(さみだれ)が梅雨のことだって知ってましたか?梅雨にまつわる豆知識1
ですから意味としては・・・・・・・・・・・・・・・・
貴方は今日降っているざーざー降りの雨は梅雨だから当たり前だとでも思ってるんでしょうね。でもこれは本当はなかなか会ってくれないつれない貴方のことを思って心乱れる私が流す恋の涙なんですよ
とでもなるんでしょうか。
さみだるるは五月雨に、ながめは長雨にそれぞれ書けてありますので、こんな訳になるんだと思いますけど、鬼気迫る和歌ですね。五月雨はじとじとと恨みがましく降る雨だということがわかると一層恐ろしいです。
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梅雨の言葉の由来は中国産
中国は揚子江流域では日本と同じく梅雨があります。
どうして梅雨という名前がつけられたかということですが。
①梅の実が熟す時期がちょうど雨季に当たったので、それでその時期の長雨を梅雨(ばいう)と呼んでいたという説。
②長雨によって黴(かび)が繁殖して物が腐るので「黴雨」(ばいう)と言い習わしていたと。しかしその 黴という字が汚らしいので黴(ばい)の音をとって梅(ばい)という字に取り替えた。
以上2つの説が言われています。
何故梅雨が「つゆ」となったのか?
江戸時代になっても文芸の世界では梅雨は五月雨と呼ばれていましたが、一般には庶民の間ではその昔から「ツユ」と呼ばれていたようです。
記録として残っているものでは江戸時代の大学者貝原益軒(かいばらえきけん)とその養子であった貝原好古(かいばらよしふる)が編んだ「日本歳時記」(1687年)という書物の中に、この長雨の頃を「つゆ」と呼んでいたことが記されています。「これを梅雨(つゆ)となづく」とあるので貝原益軒らな命名したと書いている人もいますが、これはありえないでしょ!貝原益軒は実に偉大な学者で実学を取り入れ、様々な業績を残しましたが、そんな仕事の中で、庶民の間で広まっていた梅雨=つゆという名前も採録したものと思われます。なので1600年代にはつゆということばが梅雨に当てられていたことはわかりますが、いつから「つゆ」と呼ばれていたかは定かではありません。
それにしても何故梅雨は「つゆ」と呼ばれていたのでしょうか?説としては
- 木の葉などに降りる『露』
- 梅の実が熟してつぶれる時期であることから、「つぶれる」を意味する『潰ゆ(ついゆ、つゆ)』
- 食べ物や衣類などにも、黴が生えたり、腐ったりしてすぐに潰えるので「潰ゆ」(ついゆ)
など諸説があります。どれもこじつけっぽいですね。ただ日本というのは語呂合わせとか言葉遊びで名前を付けることをよくやりますので、こういうのもありです。
本当のところはよくわからないというのが真実なような気がします。でも今や梅雨と書いて「つゆ」と読むのは当たり前。日本語の柔軟性には我が言語ながら感心してしまいます。
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