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みなさんはなぜラプラプ酋長がフィリピンの英雄と呼ばれているかご存知でしょうか?私も最初聞いた時に土人の酋長がなんでフィリピンの英雄なの?と訝しく思いました。しかも世界的に有名なマゼランは彼によって殺されたと言うんですから、私は驚きました。しかし・・・・・・
16世紀までのフィリピン
フィリピンはもともともと多くの島に分かれていてそれぞれに国を建て、生活習慣も言葉も違っていました。更に言うとその殆どはイスラム教徒だったんです。
1380年頃に、イスラム教徒の学者ムクダムが、マレー半島からスールー諸島に到着し最初のモスクを建設します。さらに1450年頃には、イスラム教徒の学者アブーバクルがスールーで、イスラム教君主国を作りました。セリフ・カブングスアンは、ミンダナオで最初のイスラム教君主国を起こします。このようにしてフィリピンではイスラム教が宗教の主流を占めていました。
悪魔の襲来
その平和な国を悪魔がやって来ました。その名はマゼラン!

引用元
http://mapstampfan.at.webry.info/201111/article_3.html
彼の率いるスペイン人たちに発見されたがゆえに16世紀から20世紀半ばまで、フィリピンは約400年にわたってスペインとアメリカの統治下に置かれました。
特にスペインの統治は凄惨を極め、インカ帝国を滅ぼしたように、残虐の限りを尽くし、女性は犯しまくりました。そして精神的な牢獄としてのキリスト教をフィリピン人に押し付け、改宗しないものは皆殺しにしました。日本はその頃ちょうど戦国時代末期で、世界一強力な軍事力を持っていたがゆえにスペインの侵略を許しませんでした。日本に来たフランシスコ・ザビエルが奴隷売買に関わっていたことからもわかるように、いま綺麗事の世界史で教えられていることは全く真実とは違うのです。九州の大名たちは鉄砲や火薬欲しさのために大勢の日本人を奴隷として売り払ったのです。それを望んだのがキリスト教の司教だったということだけでも当時のキリスト教のいかがわしさがわかろうというものです。
しかしそういうことが日本で語られないのは第二次世界大戦の敗北によって日本が西洋に支配されてしまったからです。
その点悪魔たちによって征服され差別され搾取されて地獄を見続けてきたフィリピン人がそれでもプライドが高く、生きていられるのはフィリピンに爪を立ててすべてを貪り尽くそうとしたマゼラン一行に対して戦いを挑み最後には彼らを全滅させたラプラプ酋長の存在があるからです。

引用元:
http://ameblo.jp/toriplecyun/entry-11424446055.html
マクタンの戦い
それはフィリピンの歴史の原点として今なお光り輝いています。ラプラプ酋長は大砲や鉄砲などの火器で武装した圧倒的なマゼランの軍に対して弓、矢、刀という原始的な武器で戦いを挑み、マゼランを殺害しました。マゼランが友好的な人間だなんてことは全くありません。彼は侵略者だったんです。そんな人間を殺したラプラプ酋長がフィリピン人に英雄として慕われている方が筋が通っています。
その頃の動きをまとめてみましょう。
ポルトガルのフェルディナンド・マゼランたちは1521年3月28日、フィリピンのセブ島に上陸し、火器で武装した艦隊の武力によって脅迫した挙句に、セブの領主であったラジャ・フマボンを精神の牢獄たるキリスト教に改宗させ、その王妃と約400人住民たちにも洗礼を受けさせます。彼らがフィリピンの最初のキリスト教徒となりました。
マゼランは圧倒的な火力を持って周辺の島々にも、キリスト教への改宗と服従を要求していきます。キリスト教は精神支配の武器であって、鉄砲などの武器と並ぶ強力な攻撃兵器だったのです。その武力に恐れをなしたセブ周辺の酋長たちはキリスト教への改宗を受け入れました。セブに上陸してわずか一ヶ月も絶たない間にセブ島周辺はマゼランの支配下に入りました。
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しかしマクタン島の領主 ラプラプだけはこの要求に屈服すること無く、マゼラン側の最後の降伏勧告も拒否、逆にマゼランを挑発し、おびき寄せます。攻撃させることで打ち破ろうと、千数百人の部隊を配備し待ち伏せをしました。
こうして始まった戦いを「マクタンの戦い」といいます。セブからマクタンに向かったマゼランは夜明け前に岸辺を目指しましたが、干潮のために船が接岸できず、船から兵士をおろして上陸しました。このことが致命傷になるとは、慢心していたマゼランは思いもしなかったのです。そして戦闘開始。火器で圧倒するマゼラン軍でしたが、あらゆる方向から次々に襲撃部隊が現れ、火器の威力を発揮できる距離を確保できなくなったマゼラン軍は白兵戦に持ち込まれます。彼らの鉄砲は役に立たず、彼ら重い鎧は戦いの足かせになります。あっという間にマゼラン軍の精鋭は打ち破られ、次々と命を落としていきます。ラプラプの指揮がいかに見事だったかが伺われます。
そしてわずか一時間ほどの戦闘の最中に、マゼランの足に毒矢が刺さります。さらには刀槍でメッタ斬りに会い、息絶えたことが記録に残っています。

引用元
http://www.excitecebu.com/wp-content/uploads/2015/02/a119.jpg
海に足を入れたマゼラン一行が革靴を濡らして動きづらくなっていたのとは反対にマクタンの住民は裸足で軽快に動きまわりました。
ラプラプ軍のために石や貝殻を拾って彼らが動きやすいようにしたという逸話も残っています。当然住民はラプラプの味方でした。
このような歴史的な勝利はフィリピン人の誇りとなり今に至るまで語り継がれているのです。
その歴史的事実は演劇として伝えられ、現在でも毎年野外劇場で演劇として披露され、生きた歴史をフィリピンの人たちは学んでいるのです。
フィリピノの矜持
フィリピン人は信用出来ないとか、格下だとか。現在の国力や貧困層が多い現実のフィリピンを見ているとなんで彼らは能力もないのにプライドだけ高いのかと思う日本人は多いようです。実際フィリピンパブで働いているような女性には信用ならない女性が多いです。しかしそれは日本人であってもおなじことで、ホステスに適当にあしらわれるなんてことはよくあることです。
どんな国にも様々な人がいます。私が知っているフィリピン人は南方系特有の明るさとずぼらな性格を持っているとしても、とても優秀で、しかもプライドがいい意味で高いです。あとはあれですね。スペイン人に陵辱されましたし、その後中国人も入植してきまして、はっきり言って人種のるつぼです。ですから様々な人種が入り混じっていましてそれも魅力の一つです。わずか500年でぐちゃぐちゃに入り混じっていますから。ものすごい美人もいるんですよね
私はラプラプ酋長やホセ・リサールを尊敬するフィリピンという国は大したものだなあと思うようになりました。
フィリピンの英雄 ホセ・リサールについて リサール公園を恋人と行った思い出
ホセ・リサールについては前に記事に書きましたが、フィリピンの独立の父とも言える存在で日本とも縁が深いです。
実際フィリピン人は家族思いですし、女性は働き者です。フィリピン女性に対して下心がある人も多いでしょうが、結婚すると裏切ることは殆どありません。貧しいひとが多いので、お金のためにはいやなこともやるというだけです。
またおおらかですからね。日本の女性と違って心が癒やされる人も多いんじゃないんでしょうか。
私は別記事でも書きましたが、大学を卒業した高学歴のフィリピン女性がおすすめです。
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